維新派の『風景画」を見た。久しぶりに刺激のある舞台だった。 1970年から松本雄吉氏をリーダーに活動しているこの集団は、野外にこだわっている。今日の公演も池袋西部の4階、祭りの広場という屋上で行われた。電車がすぐ側を走り、周りには高いビルが立ち並ぶ。この屋上にはそのビルや建物のミニチュア模型が街を成している。
出演者は24名。男の子7人と女の子17人だ。(公演中はそのことを全く意識していなかった)全員が紺の半ズボンに白い半袖シャツを着て、短い髪をしている。機械の様なコントロールされた動きが24人によって極めて正確に示される。特殊なリズムで発される断片的な言葉、恐ろしいほどに統一されたジェスチャー、幾何学的なモチーフ、音楽があいまって、不思議な2次元のような3次元のような時空間をつくりだしている。全体は11の小章に分かれていて、「点」から始まり、「図形」や「対角線」等、を経て「2011〜」で終わる。東京という都会の性質がタブローや細かく振り付けされた動きを通して、浮き彫りにされる。例えば、「四角形」という章では、24人が6つの四角形をつくり、その内の一つから4点のうちの1点がそとに出てしまう。でもその1点の入るところはない。しばらく迷ったあげく、仕方なしに元の場所に戻る。「4」という数字は以前「家族」という作品で扱ったが、「世間に認められる数字」であると思う。「安定する数字」「3」は「4」よりずっとバランスが悪く、均一にしにくい。私達の周りを見回しても、4点で出来ている四角いものがおおい。「あてはまる」形なのだ。そこからはみ出てしまったものは行くところがない。又、「一秒」という章では、「一秒で何何をする」という号令のようなものがかけられ、24名は次々とその課題をこなしていくが、最後の方で、「一秒で息をする」「十秒で息をとめる」と、生きていくに必須な息さえも失うことに同意させられてしまう集団性を見せられた。クライマックスの「2011〜」になると、様々な線や図形、かたちをつくっていた24の体は一列に並ぶ。もののかたちが語られ、体の一部一部が四角の中に入れられ、記録され、24名は列に並んで、どこまでも深く暗い河の流れを見る。最後の最後は『2016、2017、2018、。。。2035。。」と未来の年号を言い続けながら、模型の街に向かっていく。ある子供は手を広げ、ある子供はヨーイドンみたいな姿勢になって、街に向かい続ける。そして初めて、ある者は人によりそい、ある者は一人で、静かに街を見つめる。
この芝居中、電車は側でずっと走り続け、ビルのネオンは消えることがなかった。時が時なので、どうしても、「資本主義」「規則」「子供の未来はあるのか?」といった事を考えてしまう。難しいテーマを扱いながら、「陰/絶望」でも「陽/希望」でもないスタンスで観客に投げ返しているのはすごい。そこには答えはなく、問いかけがあるのみだった。